令和7年 2月定例会(2025.03.05)

<議案質疑>

 歳出第三款県民環境費第二項文化学事振興費のうち、文化財普及活用費の中の戦争遺跡調査事業費についてお伺いします。
 私は昨年九月定例会の代表質問において、愛知・名古屋戦争に関する資料館がこれまで果たしてきた役割とこれからについて伺い、知事から、戦後七十九年が経過し、戦争の体験談を直接聞くことが日増しに難しくなっている中、実物資料を通じて戦争の悲惨さを小中学生など若い世代へ継承していくことは、ますます重要になっておりますと答弁をいただきました。
 今年は戦後八十年という節目を迎える中、戦争の記憶を継承するための戦争遺跡の役割は、今後、ますます重要になると考えます。
 私の住む春日井市は一九四三年(昭和十八年)六月一日、勝川町、鳥居松村、篠木村、鷹来村の四町村が合併し、誕生しました。同じ日には豊川市も誕生しています。
 ふるさと春日井学名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所(渋井康弘・金子力・大脇肇共著、出版三恵社)では、一九四一年から一九四三年に全国で二十七都市が市制施行しているが、それらの都市は軍用飛行場や軍需工場の建設、重要資源調達のために設置された都市で、春日井や豊川は、全国で造られた軍都の一つだったと記されています。
 同書によると、一九三七年、勝川町にインフラ整備を行政主導で進める都市計画法が適用されると、翌一九三八年、名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所の建設が決定。続いて、鷹来村に名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所が建設されるとともに、軍用鉄道の敷設や輸送用道路の整備がなされ、篠木村には西山分廠が設置されました。また、現在は春日井市となっている高蔵寺町にも、一九三九年に高蔵寺工廠が設置されています。
 巨大な軍需工場には多くの労働者が必要であり、春日井市域の人口変化を見ると、一九四〇年には二万八千五百八十七人、一九四四年には四万三千二百二人で、この間の人口増加率五一・一%は全国四位。
 なお、豊川市域の同時期の増加率は一四五・八%で、全国一位であったそうです。
 鳥居松製造所では一万数千人、鷹来製造所では四千人以上が働き、主に小銃、銃弾が作られ、爆弾をつけた気球を飛ばして偏西風に乗せ、米国本土に届かせる風船爆弾も作られていました。また、その中には、女子挺身隊員、動員学徒も多く含まれていたと言われています。
 空襲被害では、一九四五年三月二十五日、鳥居松で従業員二十六人が、また、終戦前日、八月十四日、広島と長崎に原爆を投下した米軍の五〇九混成群団が鳥居松を狙って三発、鷹来に一発、模擬原爆と呼ばれるパンプキン爆弾を投下し、従業員と市民合わせて七人が犠牲となりました。
 この五〇九混成群団は原爆投下専門に組織された秘密部隊。パンプキン爆弾は長崎に投下された原子爆弾ファットマンと同じ形、同じ大きさ、同じ重さで中身が爆薬だったそうで、春日井への空襲はパンプキン爆弾がどの程度の破壊力、殺傷力を持っているのか、兵器として有効なものなのかを確認するためであったと米軍の公文書には記載されています。
 なお、このとき春日井を襲った部隊は、次にトヨタ本社工場を襲撃。パンプキン爆弾により工場の四分の一ぐらいが壊れる大きな被害を受けています。
 名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所の旧司令塔は、鉄筋コンクリート地下一階地上四階建てで、延べ床面積約二千六百七十平方メートル、一九四二年に建設されました。現在も名城大学農学部附属農場の本館として使用されています。二〇二二年春には大規模改修を終え、歴史的な外観は保存しつつ長寿命化を施し、教育研究施設としての装いを新たにしました。
 このときの新聞記事を確認すると、人造大理石を用い正面玄関から各階の階段まで続く造りは当時のまま。また、モルタルを塗り直した外壁は、旧陸軍関係者の証言を参考に当時の色に近づけられ、窓枠の造りも当時の面影を残す。一方、改修に伴って消えた戦時の面影もある。空襲の標的を回避するため、カムフラージュとして設けられた屋上の植栽は、建物全体の軽量化を図る過程で撤去され、正面の外壁の時計下にあった旧陸軍のシンボル、星章の跡もなくなった。名城大学担当者は、正直、建て替えたほうが安くついたかもしれないと明かすが、改修にとどめたのは、戦争遺構としての価値を重視し、保存する目的が大きい。一時は取壊しも検討されたというが、学内や地元から保存を求める声が寄せられていた。空襲の標的とされた兵器工場が現役の建物として残るのは全国的にも珍しい。遺構保存を呼びかけた金子力氏は、施設として使い続けてきたから残ってきた面もある。当時の面影が一部なくなったことは残念だが、雰囲気を残しながら再生を図る今回のような保存の在り方もあるのかなと思うと話す。また、呼びかけの中心となった渋井康弘氏は、農学部の学生が学ぶこの場所で、同年代の動員学徒が兵器を製造していた。学びは平和によって保障されることを教える場所として、多くの人の心に響く場所になってほしいと願ったと記されています。
 一方、昨年九月には、戦争遺跡、三割原形とどめずという大変残念な見出しが新聞に掲載されました。
 記事では、太平洋戦争関連の旧軍施設を主とした戦争遺跡について、一九九六年に始まった文化庁の近代遺跡調査に市区町村から報告があった六百四十二遺跡のうち約三割が消失または大部分消失し、原形をとどめていないことが分かった。開発や劣化が原因で市区町村が現況を把握できていない遺跡も多かった。来年で戦後八十年となるのを前に消失の岐路に立つ実態が明らかになったと紹介されています。
 戦争遺跡の保存に向け、まずは実態把握を進めることが大切です。
 しかし、本県の文化財保存活用大綱には戦争遺跡に関する記載がありません。
 また、国においては、戦争遺跡の明確な定義や保存方針もなく、財政支援もありません。
 このような現状を鑑みると、今年度から実施され、令和七年度予算案にも計上されている戦争遺跡調査事業は重要な意義があると思います。
 そこで、三点伺います。
 初めに、戦争遺跡の調査を今年度実施することになった経緯と、これまでの戦争遺跡に関する県の取組及び把握状況について伺います。次に、今年度はどのような取組を実施したのでしょうか。また、来年度はどのような取組を行う予定であるのかお伺いします。最後に、今後の方針、また、戦争遺跡を保存、継承するための課題についてお伺いします。

<答弁要旨>

県民文化局長

 戦争遺跡調査事業に関する御質問のうち、まず、調査を実施することになった経緯と、これまでの県の取組及び把握状況についてお答えいたします。
 議員お示しのとおり、戦後八十年近くが経過し、戦争体験者からの証言を得ることが困難となっている中、戦争の記憶を継承していくためには、軍事関係施設として使われた建物や空襲があった場所に残された跡などの、いわゆる戦争遺跡の果たす役割がますます重要となっております。
 一方で、開発による撤去や、時間の経過に伴う風化により、戦争遺跡は消滅の危機にさらされております。
 また、これまで本県では、一九九六年から二〇〇四年の愛知県史編さん事業の一環として戦争遺跡の調査を行い、三百五か所の戦争遺跡を把握しましたが、その調査からも既に二十年以上が経過しております。
 こうしたことから、本県では愛知県議会での平和県宣言から六十年を迎えた二〇二三年度から改めて戦争遺跡の現状調査を行うこととし、二〇二三年度には全市町村に御協力いただき、基礎調査を行いました。
 その結果、県史編さん事業で把握した三百五か所の戦争遺跡のうちの二十五か所が建物の建て替えや開発工事などにより滅失していることが判明した一方で、市町村における独自の調査等で把握されていた百十四か所の戦争遺跡の情報を新たに御報告いただき、合わせて三百九十四か所の戦争遺跡を把握することができました。
 次に、今年度及び来年度の取組についてお答えします。
 本県では、二〇二三年度の基礎調査で把握した三百九十四か所の戦争遺跡の全てについて、二〇二四年度と二〇二五年度の二か年をかけ、現地調査を行うこととしております。
 今年度は、三百九十四か所のうち三百四十か所の戦争遺跡を対象に、所有者の方々に御協力いただき、現地調査を行いました。現地調査では、遺跡の有無や愛知県史に掲載された時点からの状態の変化などを記録するとともに、写真も撮影しております。
 今年度の現地調査は二月末に完了しており、現在、調査結果を取りまとめているところですが、あまり知られていない戦争遺跡がその地域で大切に保存されていることなどが明らかになった一方で、防空壕が埋め戻されてなくなっていたり、爆弾でできた穴が見当たらなくなっているなど、調査した三百四十件の約二割に当たる七十六件の存在が確認できなくなっていることが判明しております。
 来年度につきましては、残りの五十四か所の戦争遺跡について、今年度と同様に現地調査を行うとともに、専門家の監修を受けながら、存在する全ての戦争遺跡の中から特に重要で価値の高いと考えられる二十か所程度を選定し、詳細な調査を行う予定としております。
 これらの調査結果に基づき、来年度末までには調査報告書を取りまとめ、県内の戦争遺跡の現状を公表したいと考えております。
 最後に、今後の方針と、戦争遺跡を保存、継承するための課題についてお答えします。
 来年度末に公表する報告書は、戦争遺跡の保存に向けた基礎資料として多くの方に活用いただけるよう、県のウェブサイトに掲載するほか、県内の図書館に配布するなど、広く一般に公表してまいります。
 また、戦争の記憶の継承には、学校の授業における平和学習が特に重要な役割を担っており、近年は授業以外の生徒による自主的な学びの際に戦争遺跡を訪れる動きも広がりつつありますので、報告書はそうした平和学習等に役立てていただけるよう、県内の高校など各種教育機関にも提供してまいります。
 さらに、報告書は市町村にも提供し、調査結果を基に文化財として指定するなどの保存に向けた取組を働きかけ、戦争遺跡の保存につなげていきたいと考えております。
 戦争遺跡の保存、継承には、管理のための人手や費用を要するほか、近隣の方々の理解や協力も必要であり、また、開発事業との兼ね合いなど、様々な課題があります。
 本県としましては、報告書の公表により、戦争遺跡の保存に対して県民の皆様に理解を深めていただくとともに、市町村との連携を図りながら、戦争遺跡が後世に継承されるように取り組んでまいります。


<要望事項>


 御答弁をいただきまして、ありがとうございました。
 要望をさせていただきます。
 ただいま今後の方針として、今回の調査結果を取りまとめ、各方面に周知しながら、戦争遺跡の保存につなげていきたいと答弁をいただきましたので、福岡県の取組を紹介させていただきたいと思います。
 福岡県教育委員会では、県内の戦争遺跡の適切な保護の推進を図るため、二〇一七年度から三年間調査を実施し、そこから県内の戦争遺跡の体系的な整理と評価を行い、報告書として取りまとめました。そして、保存状態がよかった海軍築城航空基地稲童掩体を二〇二三年三月、福岡県としては初めて、太平洋戦争の戦争遺跡として県指定文化財に指定しました。
 掩体とは、戦時中に敵の空襲から軍用飛行機を守る目的で造られた格納庫です。県教育委員会の担当者は、今後、県内の重要な戦跡の保存に向けた端緒になると話されています。
 愛知県では、名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院、名古屋衛戍病院を一九六六年に有形文化財に指定。明治村でその姿を見ることができますが、今回の調査結果を基に、戦争遺跡の保存に向け、文化財指定につなげるなど、取組をぜひ進めていただくよう要望します。
 また、保存、継承に向けた課題についても御答弁いただきましたが、取組の推進に当たっては、国の支援も不可欠であると思います。国への働きかけも併せて要望し、質問を閉じます。ありがとうございました。